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Nさんは、三日続けて早朝からやって来た。伯父逹は、つり合はぬは不縁のもとと頭からきめつけ、その前から望まれていた別の縁談を、早く決めるように私に迫った。
天から降ってきたような話に、私はとまどいを感じながら、それでも伯父の誘める方には、もともと嫁ぐ気がなかったから、少しづつNさんの持ってきた「江上」といふ、えたいの知れぬ人に興味を持ち始めていた。第一に東京に住んでいるといふことが、魅力であった。Nさんは全くいい加減な人で、仲人口は平気で聞くといふ噂があったので、あぶないな、といふ気がしないでもない。私は身上書や写真を見せてくれと頼んでも、一向に持って来てはくれないし、れいの調子で
「心配なかですタイ お似合いですタイ」
の一点ばりである。私の写真はとっくにばら撒かれてあるらしいから、先方は見ているに異ひない。だから先日も、Nさんが彼を連れて来たのだらう。両親も亦、その上で私を見に来たに異ひなかった。
「江上家では、茂さんが一番よかですタイ」と言うばかリ、ねばリ抜かれて伯父たちも少々辟易し始めていた。日中戦争も酣で、殆どの人が召集され、銃後に残された男性とは何か理由がある筈だった。仲人口には乗らないぞ、と私は思った。友人に頼んで、彼の事を調べてもらった。友人は市会議員を務めていたから、友人は輪郭はつかんで来てくれた。