このページのコンテンツを全てお読みいただくには、協力会員への登録が必要です

其の頃、映画の影響だったろうか、こんな言葉が流行した。
「やっと、二人きりになれましたネ」
恋人同志の甘い囁きである。そんなムードは、私達には無かった。結婚とは、そうした甘いものだと私は期待していたのだが。
新居に落ち着いたとはいっても、一つの家庭を作る事は大変であった。主人が出かけたあと、忙しく働いた。ところが、主人は出かけたと思えば、すぐ帰って来てしまったり、のんびりとお昼まで家に居たりして、私をとまどわせた。定期も買っている様子が無いし、一体どういう勤務なのであろう。友人を連れて来て、酒もりを始める。配給の酒は一ヶ月何合ときまっていたが、お酒はよく手に入る様子だった。瓦斯も無いから、消し炭を取って置いて、コンロをおこし、あわてゝお湯を沸かし、酒の爛をする。何しろ、酒のみの家庭に育ってないから、どんなものを作っていいか、見当がつかない。随分と、とまどった。そうこうしている内に、どうやら馴れて、三分もたてば、一、二皿の酒の肴も出せる様になっていた。
もう一つは、夕方になると、きまって何処かへ行ってしまうことである。家に居れば、必ず読書をしている。話しかけるすきが無くて、私は次の部屋にそっと控えている。
或る朝、主人が此処へ来いと私を呼んだ。長押に額が掛けてある。二十回猛士 士規七則とある。之を読めと言った。サツシヲヒハンスレバ………に始まる。大声で読めと言う。何で女の私が七規七則など読まなければ、ならないのだろう、と心の中で思ったが、口に出して言えなかった。