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話は少し朔るが、一度お目に会わせ たい人が居ると、主人が言うので深くも考えないで從いて行くと、世田谷の豪徳寺の近くで、重富さんというお宅であった。学生時代に、永い事下宿をさせて戴いたそうで、重富さん夫妻は昔、御主人の関係で大牟田に住んでいられた事がある由で、それが主人の友人の親戚だったから、東京に出てからも下宿させて戴いたそうで、物静かな御夫妻が暖かく迎えて下さった。
そのお宅の長女が須藤さんの最初の奥さんであったて、愛し愛され結婚されたのだが胸を病んで幾許もなく亡くなってしまわれたそうであった。須藤さんは、狂はむばかりに悲しまれて、それはお気の毒だったそうである。三番目の美しいお嬢さんも結核で亡くなり、二番目のお嬢さんも臥っていられた。
其のころの結核と云えば全く死病で、完全に治す事は不可能であった。結核すじ、と忌み嫌われたものであった。前回の富士登山に写っている末子さんは、女学校を卒業した許りで、まだ健康だったのだけれども、私がお会いした時の末子さんは、全くといっていい位血の気がなくて、目ばかり大きく黒く見えた。
「江上さん、結婚なさったらきっと奥さんを連れて来て下さいね。」
そう言ったのだと言う。私の顔と、主人の顔をしげしげと見比べて
「江上さん、お目出とう。やっぱり私の思っていたような方だったわ」
そう言つて、いいお友達になってね、と淋しく笑った。彼女はその時もう自分の死期を知っていたのだろうと思う。
そして其の時、私は末子さんと主人は恋人ではなかったのか、とはっきり思った。