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主人がクリスマスの日に、私達を連れに来た。海も近く、良い師に恵まれ狭いながらも南向きの暖かい、風流の家であった。小加名さんが、荷物のころがっている私の家の引越風景を見に来て、今晩一晩、泊っていかっせいよ。と私と子供達をあたたかく泊めてくれた。朝飯も、お辨当も用意して下さって、昼近く主人が迎えに来る迄、ほんの短い歳月だったけれど、いい人ばかりだったような気がすること館山市、上須賀という土地に未練が残った。
もし、この土地に、避暑地を求める事が出来たら、どんなによいであろうか。
柔道選手の息子さんを持った、淀屋さんという未亡人に後を譲ったのだけれど、ついに淀屋さんに会えず、〇一万花堂の言葉通り月収、五千円、いやそれ以下の生活をいやでも続けねばならなかった。
貧しい中に取手の大久保親子も来、三浦さんも来てくれた。東京は随分変っている様な気がした。それよりも、京浜東北線から大井町の新しい家にバスに乗って着いて驚いた。
今は西大井五丁目というけれど、当時は伊藤町と云い、伊藤博文公の墓所のある所で、貨物線が通るので、その度、大変だったし、お勝手は大家と共同という。前家賃五ヶ月分で、参萬円とは、七百円の家賃で住んでいた私は目をむいた。