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馬込のバラックで何年過したであろう。あの時、小学校六年生になっていた長男が、何時の間にか、高校生になった。昭和も三十四年であろうか。
弟達もすでに郷里に帰り、貧しいけれど、親子五人、一家団欒の日が続いた。欲しがる物は、何一つ買ってやれなかったし、おやつも全部手造りで、子供達はよく辛抱してくれた。
しかし主人は本当に気の毒だった。稽古の虫になっていたし、中大の夜間稽古が週何度もあったから、帰りはもう十二時を過ぎ、大森で柳沢さんと別れて、ニ十分位は歩いて来るから、腹ペコでとても疲れていた。私はよく子供達を寝かせてから、そっと主人を迎えに行った。大森駅は淋しい所だったから、出口も一つ、下りの国電の音を聞くと、もしやと思うが、降車客はまばら、何十分も待つ事はあっても、主人の顔を見た時の嬉しさは、何十年たっても変る事はない。
時には、やつれていても女だから、酔客に「つきあわないか」など誘われる事があってこわかった。しかし私は遊び女じゃない、と横を向くと、チェーツ、などとよろよろ去ってゆく男の後姿を見ながら、何事にも主人一辺倒だった自分をいとおしく思った。
主人が降車口から出て来ると、走り寄って「お帰りなさい」主人は疲れた顔を瞬間ほころばせて、「来なくても、いいのに」と云いながら、それでも話し相手が出来ると、例の話し好き、今日はこうだった、こんな事があった、と歩きながら話してくれる。みんな空手に関する話ばかり、私も、そうなの、へえ、などと相槌を打っている内に家に着く。子供達は熟睡している。ささやかな食事を、腹ペコの主人は、美味しそうに食べる。せめて酒一本をつけてあげられたら、と酒好きの主人の事を思う。二人でせめて晩酌一本、それでもいいのだが。
寝ようか、草臥れ果てた主人が云う。そして静かな夜が更けてゆく。