『遊天荘』の復興・維持を行いながら、武道や空手道を通じた江上茂の教えを後世に伝えます

君影草 完全版 第4章 第6話 『「専門家に贈る」脱稿まで』

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昭和四十二年の冬の日だったと思う。アメリカ、ロスアンゼルスの大島劫さんから訪ねる様に云われたと、静岡から男の人がやって来た。

年の頃は、四十才近いと思われるのだが、洒落たスーツを着て、コールマン髭を蓄えて、年よりは若く見えた。

それに印象に残ったのは、口から放さないマドロス・ハイプであった。

彼は、村上哲次と名乗った。静岡で酒屋を商賣にしているのだが、若い時から空手が好きで、望月と云う先生について習ったと云った。

その望月先生が、暫く前からフランスのパリに空手を教えに行っているのだが、急に帰国せねばならぬ事になり、替りに村上さんを暫くパリに来て呉れないか、と云う事で、少し前からパリに行っているのだと云う。彼には、奥さんも、子供もあり商賣は今の所自分が居なくても、母親と女房でやって行けると云う。その頃は、まだヨーロッパでも空手は珍しくて、やり甲斐があるのだが、と云って口を濁した。

主人が、不審に思って尋ねると、かつて大島さんが云っていた様に、当時パリを牛耳っている、プレーという男に村上さんも引かかった由であった。

このプレーという男、一度日本にやって来た事があって、主人に面会を求め、執拗に一緒に冩真を撮ろうと云った男である。主人は、利用されるのが嫌だと拒否したので、プリプリ怒ったと云う話を聞いた事がある。

日本人は、万事簡単に考えるから、まして空手マンは単純だから、契約書など詳しくは読まない。いい加減にサインしてしまって、きびしい契約に気がついても遅い。大島さんと一緒に、村上さんも随分ひどい仕打ちを受けたとの事である。大島さんは‘奥さんを同伴していたから、お嬢さん育ちの奥さんには随分苦労を掛けた由であった。

例えば、夏のバカンスにプレー夫妻が出かける時は、冷蔵庫に鍵を掛けて行って了うとか、給料では食べる事も出来ない程の額で、栄養不良になったとか、我々には信じられない話を聞いた事があった。

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