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暫く私には何が何だか理解出来ず、まじまじと主人の顔を見つめていた。
「要するに、旗上げしたのさ。」
主人は嚙き捨てる様に云った。
そんなこと、そんなことってありますか。私は口ごもりながらやっとそれだけ云うと、急に物が云えなくなり虚脱したような面持ちで主人を見つめていた。
分からない事はない。けれどもそんな重大な事を、電話一本で …… と次の瞬間むらむらと怒りがこみ上げて来た。
「先生の主だったお弟子さんは、皆いただきます-そうだ」
思えば昭和三十九年、岩井海岸で「楽天会」の旗上げをした時も、事後承諾で主人と私は招かれて出かけた。
中央大学の空手部入門者が多すぎて、如何にすれば入門者を減らせるか、と今考えればまるで嘘の様な一時期があった。除名にする条件は、稽古に出て来ない者、如何なる事でも、その理由は聞き届けて貰えなかった。一人でも減らない事には、中央大学の空手道場は収容出来ない入門者なのだ。涙を飲んで退部しなければならぬ者が続出して、稽古の場所を失い、うろうろするのを見かねて、青木さんがその人達を救おうと、楽天会を結成した。
その主旨は立派だと思う。事後承諾にしろ、空手好きな退部員は喜んで稽古が出来た事と思っていた。しかし近頃、青木さんの一寸解せぬ行動がしばしば気になっていた。全国の支部を活発に飛び廻っているという。何の為?そう考えないでもなかったが、私はあくまで江上の女房、稽古の事にとやかく口出しする事は深く慎んでいるつもりであった。主人も、青木さんを深く信じている事だし良識のある人だから変な事なとする筈もない、と思っていた。