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昭和五十年を過ぎる頃になると、目に見えて主人の身体が弱って来た。
冬はまして、人一倍寒がりだから外には決して出なかった。
啓蟄が来て、冬眠していた蟻や地虫の類がその穴を出ると言い伝えられる頃になると、少しその顔がほころびた。
しかし暦の上の啓蟄は三月五日頃、まだまだ余寒がきびしい。本当に啓蟄と言えるのは旧暦でまだ先の事であるから、其の頃までは動こうとはしない。昔は冬も素袷一枚で粋な男だったと、自負していたが、今はそんな面影はかけらもない。「痩せたから、寒さが直接骨にひびくのだよ。お前の様にふくれて脂肪を着ていれば温かいだろうが、俺は出来が違うのだ」と言う。
何しろ胃の手術をしてから、食が細くなっただけでなく、好き嫌いがはげしくなった。
牛肉は臭い、豚肉はまして嫌だ。貝類は蜆汁ぐらいのもの。烏賊、章魚は当たった事があるらしく敬遠する。
おさしみも一、二切れ、パンは嫌い、うどんは駄目、穴あきウドン(スパゲティのこと)など、とてもとても。細い素麺か、蕎麦なら少したべてくれる。
野菜も、レタスやトマトのサラダなど作ると、兎のえさだと云う。
白身の魚と、卵、鶏肉だけを、蛋白源としてほんの少し食べてくれる。
里芋や馬鈴薯の煮っころがしが好きである。私は時々親の顔がみたい、などと憎まれ口を聞くのだが、何しろ大人数の家庭だったから、こまごまとした調理は出来なかったのであろう。