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昭和五十一年は旅をする事が多かった。
春の訪れと共に、フランスのパリー在住の村上哲次さんから、我々をフランスにお招きしたいと言う連絡が届いた。
二年あまり前、羽田空港で昼間厚雄さんと別れる時、昼間さんが
「それでは、今度、マドリードでお会いしましょう」
と、洒落た台詞で手を上げて笑って別れた時の顔を思い出すのだが、あれから待っても、待っても何の音沙汰も無かった。手紙を出しても梨のつぶてで、少なからずがっかりした。糠よろこびをさせられた様で、やはり心から期待していたものを裏切られた思いであった。
はっきり、決まってから言ってくれればいいのにねと、私は口を尖らせて、心ときめかせて郵便受を待ちかまえた自分がみじめにさえ思えた。
そして半ば諦めていた時、降って沸いた様に、大島ツトムさんからアメリカヘの招待を受けたのであった。