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空手のことは、結婚してからも当分知らなかった。結婚が決まっても、一度も会わなかったし、主人からは手紙一本貰わなかった。仲人は調子のよい事ばかり云って、真面目で実直で、ハンサムで、その上体格はよく、早稲田大学の商学部を卒業して、今は参謀本部の高等文官だという。主人を知っている人は居ないし、どう解釈していいものか不安であった。果たしてそんな人が居るだろうか。
何しろ、昭和十六年八月に婚約はしたのだか、式は何時挙げられるか見当もつなかいと云う。
その中、大東亜戦争になって、来年にならなければ、そんな事を仲人がいい出した。その頃の日本国には健康な青年はおろか、いい年をした人まで、徴兵が来て、この国にはもう盲か不具者か、物凄い病弱者しか残っていないと云われた。だから、おかしいと云えばおかしい。だが、それは職域が参謀本部と云うから、重要なポストに居れば、あるいは兵役を免れるのかもしれない。私はそうあって欲しいとまだ見ぬ主人の上に思いを走らせた。この年ぎりぎりで結婚して、先ずその事を聞いてみたら、主人は、立派に「甲種合格」になり、入営し幹部候補生になったのだと言った。入営後、朝鮮の平壌に移され、其処で演習中、大喀血をしたのだそうだ。厳寒の時期であって、雪の上に花の様に血を吐いたという。もともと、仮死の状態で生れて佛前に寝かされたと言う事。病弱な子であったらしい。見掛けは立派な体格をしているから、誰もそんな風には見えなかったのだろうが、兵役に細密検査をする訳でもなく、ポンと肩を叩かれて
「甲種合格、立派に御奉公しろ」
と言われたそうである。主人は学生の時、何度も死ぬ様な病気をしたのだ、と云っていた。兵役免除後は、例の負けん気で、空手の稽古で病気を克服したのだと云っていた。
参謀本部に入る時も、禄に身体検査などしなかったのではなかろうか。
全くおかしな人だと思う。そんな身体は、いずれいろいろな障害を起こすのだが、自分の意志で稽古で治したという自負が、一生涯消えなかった。