『遊天荘』の復興・維持を行いながら、武道や空手道を通じた江上茂の教えを後世に伝えます

君影草 完全版 第6章 第4話 『支部 南から』

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谷仲吉さん御夫妻と

伊佐山誠哉さんが、仙台空港から鹿児島空巷に転勤になった。仙台支部にとっては残念な事だったが、今度は鹿児島支部がはっきりした形が出来て、主人が出かける事になった。

もともと鹿児島には中大0Bの中村俊二さんが帰っていて、その中に学習大OBの丸山修さんも帰って行ったからしっかりした鼎が出来たのであった。少数でも、なかなか熱心な人達だったから、その内にいろいろな仲間も増えて俄に活気づいて行った。

主人は郷里が福岡県の大牟田市だから、春秋には両親に顔を見せに帰るので、鹿児島空港に飛び、稽古を見たあと大牟田へ国鉄で、それから豊肥線で大分に行くか、そのまま、小倉へ出て門司支部に行くかしていた。ところが、偶然、延岡の谷仲吉さんと大学卒業以来久しぶりに旧交をあたためる事になり、先ず宮崎空港に飛んで九州入りをする様になった。

谷仲吉さんは、早稲田大学のゼミ仲間で、主人とは大の仲好しだった様である。戦争を境に、筆不精の主人の事、連絡がとだえていろいろな事があったので、会う事は出来なかったのだが、私はよく谷さんの話を聞かされた。早稲田大学の空手部が、宣伝演武をして九州を廻った時、十数人の部員の世話を谷さんに頼んだそうである。主人は自分の家にも数日十数人の部員を泊めて、一家を挙げて歓迎した事を話して聞かせてくれた。広い家であったけれど、大家族の内に十数人の部員の世話は大変だったろうと思う。母はよくその話を後年していた。揃いの浴衣を作った話、親戚の娘をお給仕に集めた話、料理人を傭った話。常識のない学生達の事大賑わいをした話。盡きる事はない。部員の家だからそれもいいが、かかわりない谷さん一家はさぞ驚いたであろう。

ところが主人の云うのには、谷さんの家は昔廻船問屋だったそうで、大淀川沿いに船から上がれるような、とてつもなく広大なお屋敷だったそうである。十数人の部員に最高のもてなしをしてくれて、すごく居心地がよかったと言う事を話していた。私は、さぞ谷家の人達は大変だったろう、と呆れもし、貧乏な空手部で、九州旅行の途中はそんな知り合いの家を転々と廻ったらしい。空手とは何だろう?誰もが知らない、不思議な沖縄の武術というだけで、大変な企画であったろう。

遊天荘に、中央大学の主将だった児玉幸二さんが来て、出身地は何処だと聞かれて、延岡だと言った。主人は、懐かしそうに、へえー延岡かね。あそこに、谷仲吉と言う男がいる筈だが、と言うと、児玉さんは、谷さんと云う人は居るのですが、すごい財バツです、と言う。まさか、あの谷さんじゃないでしょうと云いたげな口ぶりである。

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