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昭和五十五年頃になったら、私は時折おや?と思う主人の態度の変り様に気がついた。
「俺の様な男は、俺一代で終りだよね」
と云う。亭主関白はこれより出来ない事だと云う。お前は本当によくついて来てくれた。よおく逃げなかった、としみじみ云う様になった。
何も、もう四十年近くの夫婦生活をして来た事、それが私にとって当り前の事で今は何も悔いは無い。
四十年近く主人に従って来られた事をむしろ感謝している。柳沢さんの家に行って、「あいつは行く処がないから逃げないのですよ。」と云っていたとは後年聞いたが、心の中ではひょっとしたら、逃げられると言う恐怖が何時もあったのではないか。主人は私に大きな愛で包んでいるのだと、日頃うそぶいているが、その大愛で私を思う様に働かしていると云うのであろうか。
彼は結婚前、ある右翼の人にすべてをそそぎ込んで、私にも強制した。この人を置いて自分の尊敬できる人は無いとの事だった。私は一生懸命その人を大事にした。それがどうだ。思っても見なかった裏切りにあった。
倒産して、立ち上がれなくなった時、一度は親子心中を主人はするつもりだった。